(田中)麗奈ちゃんの目はやはり大きいな。普段はキュートなその目が売り物だけど、この映画ではふてくされ顔がピッタリとさまになる子だというのを私は発見した。(おいおい!) そんな発見は本人は嫌がるだろうがーーー。二度目に嫁いだ磯村家では、武士でありながら金貸しで蓄財に励んでいるのを知り、麗奈ちゃんは軽蔑の目で(あの大きな目で)夫をみすえるので、可哀想に夫はかんしゃくを起こし怒り狂う。そりゃー麗奈ちゃんあんたが悪い。江戸時代末期になると貨幣経済の発展の一方で、米主体の藩財政はどこでも行き詰っていた。磯村家の男たちはそういう時代の変化をよくわかって武士なりに新しい状況に対応しょうとしていた合理的な考えができる人たちではなかったろうか。映画では小作農や貧しい人間を虐めるひどい人間の仲間で、勢いのある藩の上役にとりいるのに必死の徹底的に卑しい人間として描かれているのだが、意外に本当は先進的な改革派だったのではないだろうかと私などは勝手に思う。
東山は剣術の達人で、百姓を苛めて私腹を肥やす藩の実力者である悪者を成敗する。いわばテロルを実行するのだが、テロ行為の善し悪しは別として、刀で斬ったはずなのに血しぶきが出ていない、返り血もあびない。舞台劇ならそれでもいいかもしれないが、映画だったらそれくらいのリアリティを持たしてくれよ、頼むよ~と言うのがわたくし的な不満です。
最後のクライマックス場面の直前、東山の母として登場する人物を見て思わず「あ~っ!」と大声をあげそうになった。どこのお婆さんだよ~っ!と思ったその人はなんと「藤純子」さまではないか。今は富司純子と改名されているそうだが。私の瞼の裏には若いころの高倉健、池部良などの顔と共に彼女の凛とした艶姿[あですがた]が刻み込まれたままになっており、あまりの変わりように愕然としてしまったのだ。女優を一生の仕事にするということはかなり残酷なことと思い知らされた。しかし、彼女が言うせりふ「あの事があってから、訪ねてこられたのはあなたが初めてですよ」と言われ、麗奈ちゃんが万感の思い堪え[こらえ]難く、声を押し殺して滂沱[ぼうだ]の涙をあふれさせる(あの大きな目から)、観客の私たちもその時感情を共にし泣いてしまう。それは富司純子さんが言ったせりふだからこその効果だという気がする。この凝縮された一瞬のためにこの映画は1時間40分、営々とストーリーを積み重ねてきたのだ。彼女の存在感はそれほどに大きいと私には感じられた。
時代劇の難しさはロケ現場を探すことではないかと素人の私でも思う。今時、コンクリートやタイヤの跡の無い農道を探すことなど至難の業だろう。NHKテレビの大河ドラマでさえ造りセットでの撮影が大部分のためか何か学芸会風のチャチな感じになっているのだが、この映画では日本の自然美が重要なテーマだから簡単に逃げられない。多分一部はCG(コンピュータ・グラフィック)を使っているのだと思うが、どこで見つけたのかと感心するくらいの昔そっくりの風景場面が出てくる。安心して観ておれる。 料理でいえば、高級料亭で味わう上質の日本料理といった感じの映画だ。
(9月17日・記)